英心うえの塾の中村です。
「塾の宿題は先生が全部丸付けしてほしい」? それって本当に子どものため?
ある保護者の方から「塾の宿題は先生が全部丸付けしてほしい」というご要望がありました。
その背景には、おそらくお子さんがテキトーに自己採点してしまい、勉強になっていないという現実があるのでしょう。
しかし、私はこの要望は根本から間違っていると考えています。
ある保護者の方から「塾の宿題は先生が全部丸付けしてほしい」というご要望がありました。
その背景には、おそらくお子さんがテキトーに自己採点してしまい、勉強になっていないという現実があるのでしょう。
しかし、私はこの要望は根本から間違っていると考えています。
ご要望頂くのであれば、
「丸付けをきちんとするように指導して欲しい」と仰って欲しいです。
あくまで、こちらの指導不足をご指摘頂きたいということです。
丸付けを自分でやって、自分で間違いを正していくという学習のプロセスを放棄しないで頂きたいという願いです。
勉強とは、最初から正しい答えにたどり着くものではありません。人間の脳は、試行錯誤を通じて「正しいか・正しくないか」を見極め、誤りに気づいて修正していくことで成長していくものです。
だからこそ、自分で○×をつけて、自分で間違いを発見し、考え、正す——これが勉強の本質です。丸付けを先生にすべて任せてしまえば、その最も大切な「考える力」「直す力」を育てる機会を奪ってしまいます。
勉強とは、進学のための手段だけではなく、正解と不正解を見極める力や、自分の弱点に気づく力を育てる行為です。
その根っこがわかっていないからこそ、「先生が丸付けを全部してください」と言ってしまうのだと思います。
言い方は強くなりますが、これは「学力を育てる責任の放棄」とも言えるでしょう。
塾にお金を払ってまで、子どもの成長を妨げるようなオーダーをすることは、本末転倒です。
塾の指導不足をしてきしてください!
二者比較をしてみましょう。
A君の勉強
自分で丸付けをして、自分で間違いを発見し、自分でそれを正そうとする姿勢で学習をする。
B君の勉強
先生に丸付けしてもらって、間違いを指摘されて、「直しをしなさい」と言われて嫌々やる、もしくはやらない。
塾側がB君のような生徒を育成したとしたら、これは「詐欺行為」です。
学習指導が何たるかを全く理解しない講師の所業です。
「受験に強い塾」はあくまでA君のような生徒を育てるべきです。
私は「勉学が全て」だとは考えておりません。
どうしても「勉強」という題材で学ぶのが嫌で、「ズル」が習慣化してしまうのであれば、
勉学そのものが、その子の成長の阻害になると考えています。
その場合は、勉学以外のことで成長を促す方が良いと思います。
勉学を「進学のため」だけにやらせようとすると、本質から外れ、「進学」での成功も叶いません。
当塾では、国語の記述問題については先生が○×をつけています。理由は、読解の根拠を文章中から正確に拾えているかを判断する必要があるからです。
ただし、直しは生徒自身が文章に再度向き合い、納得できる正答にたどり着くよう指導しています。
つまり、「ただ答えを教える」のではなく、「自分の誤読や思い込みに気づかせる」ことを重視しています。
自分で間違いに気づけない状態は、
トイレの後、自分のお尻がちゃんと拭けたかどうか、お母さんに確認してもらわないとわからない
——それと同じです。
勉強は、自立の第一歩です。
勉学とは、正しいことと間違いを判別し、正していく過程を習得することです。
勉学でそれが果たせないのであれば、別の分野でそれをやるべきです。
塾の先生に丸付けを求めるのではなく、「自分で自分を成長させる力」を育てることに目を向けていただきたいと、心から願っています。